大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(ラ)210号 決定

抗告人

甲田正夫(仮名)

右代理人

安藤昇

相手方

甲田乙子(仮名)

右代理人

斉藤龍太郎

ほか一名

主文

一、原審判を次のとおり変更する。

二、相手方を債権者とし、抗告人を債務者とする東京地方裁判所昭和四九年(ヨ)第七七〇号仮処分申請事件につき昭和四九年二月二七日成立した和解条項第一項の定める昭和五〇年二月以降の婚姻費用分担額を金七万五、〇〇〇円に増額する。

(1)  抗告人は相手方に対し金二万円を支払え。

(2)  抗告人は相手方に対し、昭和五〇年四月以降当事者の別居解消もしくは離婚に至るまで毎月二五日限り金七万五、〇〇〇円を支払え。

理由

一抗告代理人は、「原審判を取り消し、本件を東京家庭裁判所に差戻す。」との裁判を求め、その理由として主張するところは別紙「抗告の理由」のとおりである。

二よつて審究するに、本件記録によれば、抗告人(債務者)と相手方(債権者)間の東京地方裁判所昭和四九年(ヨ)第七七〇号扶養料不払仮処分命令申請事件の昭和四九年二月二七日審尋期日において、「(一)債務者は債権者に対して生活費として昭和四九年二月より当事者双方の同居もしくは離婚に至るまで毎月二五日限り(但し昭和四九年二月分については同月末日限り)各六万五、〇〇〇円を支払う。(二)、債務者は前項の期間内債権者の使用する電気・ガス・水道・電話の各代金を従来どおり負担する。(三)、債務者は前項の期間内債務者が健康保険で医師の治療を受けた治療費のうち、本人負担分についてはこれを負担する。(四)、訴訟費用は各自負担とする。」旨の和解が成立したことが認められる。

婚姻費用の分担について当事者間に協議が成立した後に、分担額決定の基準とされた事情に変更を生じ、従来の協議が実情に適せず不公平なものになつたときは、民法第八八〇条を類推適用して事情変更時を基準として従前の協議を変更する審判申立が許されると解すべきところ、前記仮処分事件の和解は家庭裁判所において成立した家事調停と同様その内容は当事者間の協議の性質を有するので、本件申立に基き婚姻費用分担変更の審判をなしうるものと解される。

三本件抗告の理由2は要するに、和解成立時から一年後の昭和五〇年二月の時点で物価上昇率が一五パーセントを超えたことのみをもつて、和解成立時に予測できなかつた事情変更が生じたものとして分担額を変更した審判は違法であるというにあるからこの点について判断する。

1  婚姻費用分担額決定時の事情として、本件記録によれば、抗告人は当時満六〇才、相手方は満五二才で、昭和一六年六月一三日届出により婚姻した法律上の夫婦で、両名間に二男一女が出生し、三名とも既に成人し、長男長女は婚姻しており、いずれも独立して安定した生計を営んでいること、相手方は無職で夫からの婚姻費用分担金の支払いのほかに収入の途を持たないこと、抗告人は中小企業の経営者として昭和四八年度総所得四九五万五九四〇円(一月平均金四一万二九九五円)を得たこと、抗告人は武蔵野市境南町一丁目一〇九番一二山林五五二平方メートル及びその地上の二階建居室一棟をそれぞれ相手方及び子供らと共有するほか、世田谷区祖師谷二丁目八三六番三山林一六五平方メートル及びその地上の二階居宅一棟を所有していること、抗告人と相手方とは昭和四四年頃から別居し、相手方は抗告人に対し昭和四四年及び昭和四六年に夫婦同居の、昭和四五年には離婚の、いずれも家事調停申立をなしたが、いずれも合意に達せず、調停申立を取下げたこと、相手方は抗告人が申立外細谷佳子と同棲しているとして抗告人の不貞並びに悪意の遺棄を理由として東京地方裁判所に離婚、財産分与並びに慰藉料請求訴訟を提起し、現に同庁昭和四九年(タ)第六八号事件として右訴訟が係属中であること、抗告人は相手方に対し和解に定められた分担金昭和五〇年二月分及び同年三月分を支払つていることを認めることができる。

2  昭和五〇年二月当時において、右の当事者間の事情については、抗告人の収入の増加を除き何らの変化を認めることのできる証拠はないけれども、記録上認められる抗告人の昭和四九年度総所得が五五八万〇三二五円(一月平均四六万五〇二七円)であることからしても、昭和五〇年度の収入の増加を推認することができる。

3  和解成立時の昭和四九年二月から一年後の昭和五〇年二月までの間に諸物価の騰貴の著しいことは公知の事実であり、この間の消費者物価の上昇率が一五パーセントを超えることは原審判の認定(原審判五枚目表冒頭から同裏一行目まで、及び同六枚目表九行目から同裏末行「超えることになる」まで)と同様であるからここにこれを引用する。

以上認定の事実によれば、昭和五〇年二月当時における物価の上昇は、和解成立以後における著しい事情の変更ということができ、昭和四九年二月当時の前記認定の諸事実、就中、抗告人の収入が、課税等の支出を考慮しても、抗告人には相手方のほか扶養義務のある家族のないこと等を勧案すると、かなり経済的余裕があつたものと認められるので、婚姻費用分担月額六万五〇〇〇円はその後の経済事情の変化までを考慮して決定された金額とも認め難く、抗告人の収入の増加等考え合わせると、従前の分担額決定の基準となつた事情に変更を生じ、従前の協議が実情に適せず不公平となつた場合に該当すると解される。よつて、昭和五〇年二月以降抗告人の婚姻費用分担額を一ケ月一万円増額すべきものとした原審判は相当であつて、抗告理由2の理由のないことは明らかである。

四抗告理由3は婚姻費用分担義務及びその額については婚姻生活の破綻の責任の存否と関連させて判断すべきものと主張するのであるが、かりに配偶者の一方が婚姻生活の破綻に対し有責であつたとしても、他方の配偶者は法律上抽象的な婚姻費用分担義務を免れるものではなく、具体的には配偶者を自己と同程度の生活を分つ、いわゆる生活保持義務の程度に及ぶ必要はないけれども、少くとも自己の生活のゆとりをもつて親族扶養をなす、いわゆる生活扶助義務の程度を下ることは許されないと解されるところ、前記認定の分担額及び増加額は、前記認定の事実に照らしいわゆる生活扶助義務の程度を著しく上まわるものとは解し得ないので、破綻責任にかかわりなく、抗告人はその分担義務を免れるものではないから、この点に関する抗告人の主張は理由がない。

五抗告理由1について審究するに、抗告人は相手方に対し昭和五〇年二月分及び三月分の婚姻費用分担として各金六万五〇〇〇円を支払つたことは前記認定のとおりであるから、抗告人に昭和五〇年二月分及び三月分としては増加額のみ合計二万円の支払を命ずべく、また、本件申立は和解による婚姻費用分担協議の変更審判申立であるから、前記和解調書の第一項に定めた昭和四九年二月より一ケ月金六万五〇〇〇円とあるを昭和五〇年四月より一ケ月金七万五〇〇〇円と変更を命ずるのが相当と判断される。よつてこの点に関する抗告は理由がある。

六以上のとおりであるから、原審判を右の限度で変更することとし、主文のとおり決定する。

(岡田辰雄 少林定人 野田愛子)

抗告の理由

一、原審判によれば、本件当事者間にさきに成立した和解(東京地方裁判所昭和四九年(ヨ)第七七〇号事件)に基く抗告人の相手方に対する支払義務が重複されることになる。殊に「直ちに金一五万円を支払え」との部分は審判当時(昭和五〇年三月二八日)既に上記和解に基き抗告人は相手方に対し昭和五〇年二月、三月分(各金六万五千円)を各月二五日に支払いずみであることに鑑みるとき理解に苦しむ。(原審の審理不尽)

二、原審判は前記和解成立後物価の上昇が一五パーセントを超えれば和解成立当時予測できなかつた特別事情が生じたものと解しているが、何ら根拠がないのみならず誤りである。

(1) 和解成立当時(昭和四九年二月)は最も物価の騰勢が甚しかつたこと及びこれが続く勢にあつたことは公知の事実であり、一五パーセント程度の物価の上昇をもつて予測し得なかつた事情変更とすることはできない。

(2) のみならず、婚姻費用の分担額を変更するに当つては、単に物価の上昇のみをもつて特別事情の発生とすることはできない。当事者の生活状況の変化、収入の増減等諸般の事情を勘案すべきものと考えるところ、原審判はこれらについて殆んど考慮を払つた形跡がない。却つて、「抗告人の収入は昭和四九年においても殆んど変りがない」としているのである。

(3) なお、原審判は、昭和五〇年二月には和解成立当時に比し物価の上昇率は一五パーセントを超えたとしているが、単なる推論に基くものであり(事柄の性質上かかる推論は許されない)、事実、昭和五〇年二月における対前年同月比は13.7パーセントに過ぎず、一五パーセントに達していないのである。

三、本件の如く婚姻生活が全く破綻した場合における婚姻費用の分担義務の存否及び額については、その破綻の責任の所在を確定する必要があると解するところ、原審判はこの点について何ら判断を示していない。(抗告人の主張に対する判断の遺漏)

四、これを要するに原審判は審理を尽さず独自の見解に基いたものであり承服できない。ここに抗告に及んだ次第です。

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